私はキリスト教の信徒という訳ではないげれど、八木重吉の詩を時々読む。
おまえのにくたいとおまえのことばを
すべてうつくしいひとつのながれとなしなさい
もしもひくいすがたのじぶんになっておるなら
たえがたくともだまっていなさい
みずからがひかるまでまっていなさい
(貧しきものの歌 より)
私の表現も、自分自身全ての美しい一つの流れでありたい。
小手先の表現をしたくはない。自分を全て使って表現がしたい。
耐え難くとも、黙ってその時が来るのを待とう。
私がという凸が嵌まる、凹が見つかるまで。
そんな事を思わせてくれる詩です。